たこ焼きのはじまり

日本のたこ焼きは昭和10年(1935年)会津屋の初代当主遠藤留吉氏の屋台から始まりました。

彼は福島県会津の出身で、大阪に来て昭和8年にラヂオ焼きの屋台を始めました。

ラヂオ焼きはたこ焼きと同じ作り方の食べ物ですが、タコではなく牛スジとこんにゃくを入れて焼いたものでした。

当時、ラヂオが世の中に流行しはじめた頃だったため、ラヂオのように流行の食べ物ということでラヂオ焼きの名前で販売されました。

ところが、昭和10年にラヂオ焼きを食べたお客様から、明石では、タコを入れた玉子焼きという食べ物があると聞かされ、牛スジとこんにゃくの替わりにタコを入れて、たこ焼きとして販売を始めました。元祖たこ焼きの誕生です。

現在、会津屋の社長は初代当主遠藤留吉氏の孫遠藤勝氏でいらっしゃいます。

※現在、会津屋で元祖ラヂオ焼、元祖たこ焼き販売中です。

明石焼のはじまり

江戸時代の天保年間(1831年~1845年)に明石の重要な産業として明石玉作りが始まりました。明石玉とは玉子の白身を接着剤に硝石などを固めて作られた模造サンゴのことで、かんざしなどの装飾品に使われていました。

この明石玉を作る過程 で大量に残った玉子の黄身と、小麦粉、さらに明石で大量に捕れるタコを入れて作られたものが明石焼のはじまりとされています。

明石港に面した角地に「本家きむらや」という行列の絶えない明石焼の名店がありますが、お店では大きいタコ足のおでんも売られていて、これも名物となっています。
 
会津屋の初代店主遠藤留吉氏は昭和10年に「明石ではタコを入れている」という情報をヒントに、ラヂオ焼きにタコを入れてたこ焼きが始まったのですが、このヒントの元は大正13年創業の「本家きむらや」ではなかったかと考えられます。

道頓堀くくるは昭和48年に大阪でいち早く明石焼を始めました。
くくるの明石焼は明石の有名明石焼店と同等もしくはそれ以上に美味しい明石焼です。

たこ焼きの歴史

1835年頃(天保年間) 江戸時代天保年間に兵庫県明石で明石焼始まる。
1924年(大正13年) 「本家きむらや」創業、明石焼を始める。
1925年(大正14年) NHKラジオ放 送始まる。
1933年(昭和8年) 「会津屋」創業、元祖ラヂオ焼きを始める。
1935年(昭和10年) 「会津屋」、元祖たこ焼きを始める。
1973年(昭和48年) 「くくる」、心斎橋そごうで明石焼を始める。
1974年(昭和49年) 「甲賀流」、アメリカ村でたこ焼きを始める。
1976年(昭和51年) 「くくる」、たこ焼きを始める。
1988年(昭和63年) 「やまちゃん」あべのでたこ焼きを始める。
1990年(平成2年) 「十八番」、西中島南方でたこ焼きを始める。
2000年(平成12年) 「会津屋」、マンガ「美味しんぼ77巻」で紹介される。
2006年(平成18年) 大阪たこ焼きミュージアム開業。( 2018年TAKOPAに改名)
2010年(平成22年) お台場たこ焼きミュージアム開業。
2016年(平成28年) ミシュラン京都・大阪2016 で会津屋、甲賀流、やまちゃんがビブ・グルマン賞受賞。
2017年(平成29年) ミシュラン京都・大阪2017 で会津屋、甲賀流、やまちゃんがビブ・グルマン賞受賞。
2018年(平成30年) ミシュラン京都・大阪2018 で会津屋、甲賀流、やまちゃんがビブ・グルマン賞受賞。
2020年(令和2年) 大阪梅田たこ焼マーケット計画始まる。(大阪梅田 たこ焼き新聖地プロジェクト)
2025年(令和7年) 大阪万博たこ焼マーケット企画中